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2005-03-04 (Fri)
mune



Hola!皆様、お久しぶりです。

卒業旅行中の藍です♪





「性典の癖疫@藍の癒しの哲学」を上へ『エイっ(><)』!!

この数日間、
かなりの強行スケジュールでした…( ̄ー ̄;

成田を飛び立ち、
USAアトランタ経由で、ペルーのリマへ。
そこからさらに国内線でクスコに飛び
世界遺産にも指定されている
空中都市「マチュピチュ」へ行ってまいりました。

標高3400mの地点にある町、クスコ。
着いてすぐ活発な運動をしたわけではありませんが、
かかりました、高山病(ーー;)
あんなにまでも苦しいものだとは思っていませんでした(ノ_・。)

そちらに数日滞在してから、
リマへ戻りアルゼンチンのブエノスアイレスへ。
そこからまたもや国内線に乗り、
今度はイグアスへ。
こちらもまた世界遺産に登録されている
ブラジル・アルゼンチンの国境にある
「イグアスの滝」を堪能。
ナイアガラの滝も見ましたが、
私はイグアスの滝のほうが好きです。

南半球は当然のことながら、夏の終わり。
終わりといってもまだ日差しは強く、
日焼け止めを塗りたくったにも関わらず、
こんがり焼けてしまいました…(^^ゞ

イグアスの周りは
両国の国立公園(亜熱帯ジャングル)に囲まれています。
そこで、日本語のツアーの人が教えてくれました。
「この中で起きることには全て意味がある」と。
アライグマがいるのも、
有害な毒をもつ蝶がいるのも、
蛇や蜘蛛がいるのも、
嵐が起きるのも、
そのせいで木が倒れるのも、
蟻がいることも、
木が立っていることも、
ひとつひとつ全てに意味がある、と。

…ならば
私がいる意味はなんなんでしょう。
私が私であることに、
意味はあるのでしょうか。
じゃぁ、藍がいる意味は…?
藍は私の一部です。
でも、決して私の全てではない。
このblogでは、
ほとんど「私」をさらけ出してきました。
それは「藍」であるけれど
「藍」ではなかった。

皆様と接してきた「私」に
決して嘘はありません。
それは絶対。
ネット上というとても危うい希薄な場所ではありますが、
読者の中でもコメントやメールを下さる方とは、
失くしたくない、大切な絆みたいなものを
築けたのではないかと感じています。

それでも、全ての人に「私」の全てを
晒したわけではありません。
この場所で、「全て」を晒すことは不可能なのかもしれません。
でも、一線を越えることはできる。
「私」を語るために、
より深く「私」を表現するために、
超えなくてはならない一線がある。

その一線を超えたところの私を
皆さんはどう思うのでしょうか。
快く思わない人もいるであろうことは
容易に想像ができます。
それでは、その人々が否定する「私」を
自分の一部として持つ「私」の
存在意味はなんなのでしょうか。
私という存在は、
皆様にとってどういう意味を持つものなのでしょうか。
その時、「私」はこのblogを続ける意味があるのでしょうか。
「私」が「私」であることの意味は、
今「私」が生きていることの意味は……。

……(´ヘ`;)ハァ

というわけで、広大なジャングルの中で
滝の音に包まれつつ、
そんなことを考えてみました(^-^;

この旅行中何度も思ったことが
「英語喋れてよかった…(´▽`) ホッ」
ってコトです。
ブラジル以外はスペイン語な南米ですが
観光地は基本的に英語で通せるのです。
スペイン語は全くわからない私(^-^;
これで英語喋れなかったら本気でやばかったです(^▽^;)

本当に失敗したのが、
デジカメの取り込みコードを持ってこなかったこと(;>_<;)ビェェン
なので、この写真は全く今回の旅行とは関係ありません。
ごめんなさい<(_ _)>

帰国するとまた鬼のようなスケジュールが待っていますが、
旅行の詳細+写真、楽しみにしててくださいね☆ミ

では、また!
☆?。・。・★。・CHAO!! 。☆・?。・★・。
| 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2005-02-23 (Wed)
senaka



泣いて暴れたい。

全てを人のせいにして...











『性典の癖疫@藍の癒しの哲学』を上に押し上げて!(><)私は泣き出すと止まらない。
子供のように泣きじゃくるし、
大声で喚きはじめる。
…しばらくすると落ち着いて、
いろんなことを考え始める。
そしてまた、徐々に泣き出す。

最初は瞳から涙が流れるだけ。
まだ思考の方が勝ってる。
だんだん、思考のループが小さくなって、
同じことばかりが頭を巡ってることに気づく。
そして、思考回路が切れる。

また泣き出す。
なにがなんだかわからなくなる。
相手に伝えたいことも、
自分の気持ちも、
過去も今もこれからも、
全てわからなくなる。
私が泣くのは私が脆いせい。
『ほんとに強いよね』?
それはそう自分を演出してるから。
見せたいように見られているらしく。
ぃゃぃゃ、ありがとうございます。

だから私が泣くのは私のせい。
脆さを隠そうとしているのも私の意志。

最近、全てを人のせいにしようとする
嫌な私が見え隠れしてる。
それを『嫌な自分』と思えること、
まだ全てを人のせいにできないこと。
それが、私に残された『弱さ』であり、
『強さ』なんだと思います。

10年後も、
まだそれが残っている自分でありたいです。
| 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2005-02-21 (Mon)
megane

ぬひひっ...











「性典の癖疫@藍の癒しの哲学」を押し上げて、『エイッ!!(><)』メガネ、自分で踏み潰しました(>_<)
ワーイo(^ヮ^)oワーイ
皆様へのコメント返しへは、合宿後PCから♪
| 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2005-02-20 (Sun)
50220_1805~01_001.jpg



今日から合宿です。

帰宅して2日後に南米です。

強行スケジュールです。



はぁ( ̄▽ ̄)v
| 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2005-02-16 (Wed)
kusari



繋ぎとめて。

鎖で私を拘束して...









「性典の癖疫@藍の癒しの哲学」を『えいっ!!(><)』っと押し上げて!鎖特有の音がする。
身体に這う冷たい感触。
それだけで、私は意識を失いそうになる。

麻縄とはまた少し違う気持ち。
きつく締め付けられる麻縄に対して
少し緩めに止められる鎖。
でもその冷たさと重たさが拘束感を刺激する。

鎖を持つ相手の手が近づいてくる。
口では「イヤ」といいながらも、
手が自然と止められやすい位置に移動する。

囚われる

繋がれた、自由の利かなくなった私の身体。
後は相手の自由にされるだけ。
逃れたくても逃れられない。
…逃れたいの?ねぇ、私。
そうじゃくて、本当は…………?

そして私はいつの間にか違う自分になっている。
身体を繋がれただけでなく、
心までもを囚われて。
冷たい鎖でも身体が冷めない。
むしろどんどん熱くなる。
聞こえるのは相手の吐息と自分の声。
それに自分の音と…鎖の音。

どんどん意識が遠くなる。
そして……その瞬間を迎える…

熱くなりすぎた身体を
冷たい鎖が嘲笑ってるみたい。
恥ずかしさと快感が漂う中で、
私を支える鎖に全ての体重を任せる。
堕ちていく身体が「カチャン」という音と共に止まる。

だから、鎖が好き。
私を堕とすのに堕としきってくれない。
だから、私を鎖で拘束して。
繋ぎとめて。
身体も…心も……。
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