2ntブログ
08≪ 2004/09 ≫10
123456789101112131415161718192021222324252627282930
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2004-09-02 (Thu)
040902_1917~01.jpg



愛をを込めて☆
| 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2004-09-02 (Thu)
47a65931.jpg



blogを読んでくれていると友達に

「結局SMってなんなのよ?」

と聞かれました...





ぽちぃ?





また、SMの経験がないと仰った方に
「SMはプレイを経験なさってないだけで、
絶対体験なさってますよ(笑)」
と言ったら案の定、
「???」
という答えが返ってきました(苦笑)

「SM観」
たぶんそれは、人の数だけある
決して「正しい」答えがないもの。

でも多くの場合、
特に表面的にしかSMを捉えたことがない人に
共通してあるstreo typeとして
「調教」「言葉責め」「鞭」「蝋燭」「手錠」
などがあるのだと思います。
「痛くないの?」「苦しくないの?」
そんな質問もよく受けます。

しかしそれって…違う気がするのですよ、私。
…なんでしょうね。
それは、とても表面的で
「SM」という言葉の装飾にしか
目を向けていない感じがするのです。
もちろん、
プレイを経験なさっていない方にとっては
そうなることが当たり前だと思います。
「見かけで判断するのはよくない」といいますが、
それが一番印象的ですし、
意識に残りやすいものですから。
それは仕方ないと思うのです。
でも、見かけ『だけ』で判断するのはよくない。

例えば。
「調教」
という言葉を考えてみましょう。
Sが男性でMが女性だと仮定します。
究極論ですがこれってSの方から見れば
「相手の女性を自分色に染める」
ことであり、Mから見れば
「相手好みの女に自分自身を変えていく」
ことだと思うんです。

それって…普通の恋愛の中にもあると思いませんか?
「付き合う男で女は変わる」
それってコレの典型だと思うのですが…。

代表的なのが服装ですよね。
私はその日逢う人に合わせて
洋服を変えることがしばしばあります。
それは相手に合う自分でいたいから。
その相手が好きな人であればなおさらですよね。
まぁ、もともと…服装にはあまりこだわりがないので
私の場合相手に合わせやすい、というのもあるのかもですが。

男性であれば、
自分の好みの服を相手にプレゼントする。
それってSMじゃなくてもあることだと思うのですが、
広く「相手を自分色に染めたい」という欲望という点から見ると
SMに通じるものがあると思うのです。

他も全てそうです。
「言葉責め」は
相手の心を突かなければなんの効果もない。
愛の言葉をささやくのは「責め」ではないけれど、
それだって相手の心を突かなければ意味がない。
でもその「言葉」で自分が相手を感じ、
それに快感を覚えることには変わりない。

「鞭」「蝋燭」「手錠」などは
……まぁ、確かにそれらは特殊ですけど。
でもそれはただ「道具」が特殊なだけであって、
その行為にある意味…というか気持ちは
決して特殊なものではないのではないでしょうか。

私にとってそれらは全て、
相手を感じるための手段であり
相手を通じて自分を感じる術であり
すなわち自分自身がそこに存在していることを
確かめるための方法の一つなのです。


それは、
カップルが街中で手を繋いだり、
夜寝る前に電話をしたり、
寂しさを感じた時にキスをせがんだり、
お互いの温もりを感じるために抱き合うのと
…大差ないのではないでしょうか。

私は、そんな風に思います。
ただ、SMという行為には、
それらにいちいち名前がついていて、
その総称として「アブノーマル」な
『SMプレイ』という名がついているだけではないのかと。


そんなことを考えていたこの2日間ぐらいでした。


眠くて文章支離滅裂でごめんなさい(・・;)
おやすみなさい(_ _).。o○
| 未分類 | COM(0) | TB(0) |