2ntブログ
04≪ 2024/05 ≫06
12345678910111213141516171819202122232425262728293031
-------- (--)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 |
2010-12-23 (Thu)
10024


11月22日に大叔母が亡くなりました。

banner

お疲れ様です。-mi-です。

大叔母というと、血縁的には結構遠いです。
4親等。父の父(私の祖父)の妹です。
祖父は3人兄弟。
祖父・亡くなった大叔母・そしてさらにその下に大叔母
が一人。
祖父は、両親が結婚した際にはすでに亡くなっていたのですが、
大叔母2人とは近しく過ごしていました。

西日暮里に戦火を免れた大きな日本家屋がありました。
贅を尽くした限りの家で、
アールデコ調の棚、照明。
灯篭が3つぐらいある御庭。
私の本籍地でもあるそこに、大叔母2人で住んでいました。

2人とも、波乱万丈な人生だった聞いています。
亡くなった大叔母は某化粧品会社の社長の元に嫁ぎ、女の子を出産。
その後離婚し、数年後に再婚すれども、またもや離婚。
下の大叔母は結婚後若くして未亡人になったそうです。

上の大叔母は理系の人間で、頭はクリア。
御琴に人生を捧げ、現役引退後もその活動のために世界中を飛び回っていました。
下の大叔母は長唄とお茶。お茶といっても煎茶の方です。
二人は、お互いがお互いを支えあうように、ずっと生きてきました。

5年前、さすがに2人だけでの生活が厳しくなり、
体力的にも家の維持はできないという事情から、
上の大叔母は介護付きのホームに、下の大叔母は高層マンションに引っ越しました。
無人になった家はしばらく放置されていたのですが、
昨年、正式に取り壊し土地を売却。
上の大叔母は『御先祖様に申し訳ない』と泣いていました。

その後、様々な利権争いが起こり、
それが落ち着いたころ、新たに御墓を購入しました。
(今までの御墓にはいろいろな事情で入りたくない、と)
『まだまだ入るのは先になるわねー。誰が最初に入るのかしら』
とかいっていた矢先、急性心筋梗塞で、突然、上の大叔母が、いなくなりました。

8月にはお誕生日会をし、
9月には敬老の日のお祝いをし、
11月には回転寿司に行きました。
(回る御寿司が食べたい、と言っていたのですが、
その日はあまり混んでいなかったので回っておらず、それが思い残り)
10月からは母と週交代でネイルカラーをやりに行き、
11月20日には、持っていってもすぐに読まれてしまう本を追加しに、
父がホームを訪れていました。

何の予兆もありませんでした。
私の部屋には、今度行ったときに塗る予定だった新しいピンクのマニキュア。
大叔母の部屋には、誕生にプレゼントした、まだ一度も袖を通していない、
今年の冬に初めて着るはずだったブラウス。
ただ、昨日と同じように明日も生きていてくれるんだと思っていました。
いつかはその時が来るんだろうけど、
祖母の時のように、何度か危篤状態が続いて、
残される側も少しずつその心の準備をして…。
そんな風に『その時』は訪れるんだと思ってました。

ホームからの第一報は母が受けました。
発見された段階ですでに「心肺停止」
すぐに母から連絡を受け、私も大叔母が運び込まれた病院に駆けつけましたが、
結局一度も心拍も、もちろん意識も戻ることはありませんでした。
身体にたくさんの管が挿されて、
機械の力で送り込まれる空気によって、
ただ規則的に胸が上下している大叔母がいました。
それでも法的には「死亡」ではなく…。
あまりに突然のことで信じられない気持ちの中、
連絡の取れない下の大叔母を待つことなく、
やはり仕事から駆け付けた父と、母と、私の3人で
11月22日午後2時22分に「死亡確認」をしました。

その後は…人が一人死ぬとこんなにも大変なのか、
と思うほどに様々な手続きや事後処理があり、
亡くなった状況上、大塚の監察医務院で解剖も行われ、
バタバタと、あっという間に年末が来てしまいました。

今回のことは、自分で思っていた以上に応えているようで
実はこの1ヶ月かなり凹んでます。
でも昨日月命日だったので、
御寺で保管していただいている御骨にお参りに行ったら、
…少し気持ちが楽になりました。

大叔母にだけ相談していたことがあります。
それをしっかりと他の家族に話すこと。
それが当面の課題です。

晩年、私を実の孫以上に可愛がってくれて、
いつも笑顔で話しを聞いてくれた大叔母。
数日前大叔母が使用していたお部屋の整理に行ったら、
たくさん飾ってある写真の他に、
枕の横から私との2ショットの写真が出てきました。
『もっと顔を出せばよかった。一緒にいる時間を作ってあげればよかった』
そう思ったら、涙が溢れて止まりませんでした。

なんだか長々と書いてしまいましたが、
私は亡くなった大叔母が大好きでした。…今でも大好きです。


大好きな大叔母が、安らかな眠りにありますように…(-人-)


今日もありがとうございます。
あなたに優しい明日が訪れますように(-人-)

~*~写真は 2008年お散歩中 にて。~*~


banner
| life | COM(0) |
コメント







管理者にだけ表示を許可する