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2004-09-13 (Mon)
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受け入れること

相手を知ること...







昨日、ちょっとした事件がありました。
それを通して気づいたことや、
思ったことはたくさんあるのですが。
その中でも一番気になったことが、
「誰かを受け入れること」

私は…基本的に本能に近いところで生きているので、
どんな人でもよっぽどのことがない限り、
最初の段階で拒絶するといういことはありません。
相手が生きていて、そこに居て、
私や私の大切な人に危害を与える素振りを見せなければ、
私は喜んでその人をもっと知りたいと思うのです。

その人の出身校や年齢、職業などを知る前に、
その人そのもののことを知りたいと思う。
確かに「今何をしているのか」というのは、
その人を構成する大きな要素のひとつ。
そういう意味で、それを知りたいとも思いますが、
それは所詮数ある構成要素のひとつであり、
大きな問題ではないのです。

でも、そうじゃない人もいる。
自分と同じ、もしくはそれと近い価値観を持つ人しか、
そばに置かないことを徹底する人もいる。
学校の偏差値順位に沿って、
人に順位をつける人もいる。

そういう人たちは、
どうやって他人を受け入れているのでしょう。
受け入れることがないのでしょうか。
「自分とは違う価値観を持った人が世の中にいる」
そのことだけを理解しているだけのでは、
全然不十分だと私は思うのです。

その人たちがいて、
どういう考えを持っていて、
自分自身をどう捕らえているのか。
それを知ることができなければ、
自分自身さえも知ることはできないでしょう。

例えば。
最近「フリーター」という人々が増えていますよね。
賛否両論だと思いますが、
私の親の世代には否定的な人が多いと思います。
でも「定職につかないで、バイトばっかして…」
というのは本当にその人たちの一面しか捕らえていない。

来年の春から正式に社会人の仲間入りをする予定の藍は、
今年の頭1/4は「リクルートスーツ」で過ごしました。
その結果無事就職先も決まり、
(不満もあるけど)後は卒業を心配すればいいだけの身です。
でも、私より早く活動を始めてまだ決まってない子もいれば、
資格取得に来年へ向け闘志を燃やすものもいたり、
自分がやりたいことに向けて目下人脈広げ中の子もいたり……。

その友達たちも、来年は世間一般で言う
「フリーター」になるのでしょう。
でも、TVとかで言われているような存在ではない。
ある意味、世間のひいたレールに乗らず
自分の道をしっかり歩くその子達の方が…
多くのことを考え、
多くのことを見ているのかもしれません。

単なる一例のつもりが、
最近の身近な出来事だったので熱く語ってしまった…(^▽^;)

要はですよ。
そうやって「フリーター」にもいろいろの子が居る中で
「フリーターなんて…」でその人たちをshut outしてしまう人々は、
一体何を見ているんだろう、と思うわけです。

全ての物事には本質があって、
その本質を囲う枠があり、
その枠を覆うものがある。
傍から見えるのはその覆いと
その枠により作り出された形のみ。
本質を見なければ、それがなんなのか
そこまでを知ることはできないんじゃないんですか?
そして、そこまでを知ることができなければ、
相手を受け入れることはできないと思うのです。

そんなことを考えた、昨日の事件でした(^^ゞ
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